Takamidoh.blog

((((( Sunya )))))

<<サンスクリット語原典訳の般若心経>>

このように聞きました。

昔、あるとき、仏陀は僧侶たちの大きな集団と、大勢の菩薩らと共に、
鷲の頂の山のラジグリハにおられました。
そのとき仏陀は、心淵なる大悟というべきものへの、深い瞑想に沈んで行かれました。

ちょうどそのときまた、聖なる観世音であり、菩薩である聖者も、深遠なる悟りに至る智慧に依って、
現象の本質が空であり、それを形作る五つのものの集まりも空であると見徹されました。

そこで、祝福されるべきシャリプトラが、仏陀のお力を借り、聖なる観世音にして菩薩に尋ねました。
悟りに到る智慧の秘儀を受けたいと願う、高いカーストに生まれた息子、娘らは誰であっても、
どのようにして学べばいいのでしょうか、と。

聖なる観世音、菩薩にして聖者は、このように答えられた。
シャリプトラよ、悟りに到る智慧の秘儀の実践を願う、高いカーストの息子ら娘らは誰であっても、
このように行うべし。

現象を形作る五つの集積したものをよく見極め、その存在の本質が空であると見徹すべきである。
形あるものは空であり、空は実に形あるものである。
形あるものは空以外のものではなく、空は形あるもの以外ではない。
形あるものが意味するのは空であり、空が意味するものは形があるものである。
同じように、感じるものも、識別することも、心が作りだすものも、認識も空である。

かくの如く、シャリプトラよ、すべての現象は空を特質とする。
それらは生じず、滅せず、汚れず、清純でなく、完全ではなく、不完全でもない。

したがって、シャリプトラよ、実に空においては、
形あるもの、感じるもの、識別することも、心が作りだすものも、認識もない。
眼なく、耳なく、鼻なく、舌なく、身なく、心もない。
形なく、音なく、臭いなく、味なく、触れるものもなく、現象もない。
視覚が捉える要素がないのと同様、意識の捉える要素も、現象上の要素も、認識する要素もない。
知もなく無知もない。どこまでも知や無知が尽きることもない。
老死はなく、不老不死もない。苦はなく、始まりがなければ終わりもなく、悟りに到る道もない。
叡智もないし、達成することも達成しないこともない。

したがってシャリプトラよ、悟りへの道がないが故に、
菩薩らは心に遮るものなくそこに止まり、智慧の波羅蜜に到達する。
三度この世に住まわせられるすべての仏陀は、智慧の波羅蜜に依拠され、完全にして究極、真性の悟りを得たもう。

したがって、人は知るべきである。般若波羅蜜多が偉大な真言であることを。
究極の真言であることを。他に比肩するものなき真言であることを。一切の苦を鎮める真言であることを。
般若波羅蜜多の真言は、偽であらざる故に真実なり。
かく唱える。ガテ ガテ パラガテ パラサンガテ ボディ スヴァハ。

シャリプトラよ、このように、深遠なる悟りに到る叡智は実践すべきである。

そのとき、仏陀は瞑想から目覚めて立ち上がられ、聖なる観世音にして菩薩に言われました。
よく語ったと。完璧なりと。高いカーストの息子らよ、まさにかくの如しと。

高貴なる息子らよ、まさにかくの如く、深遠なる悟りに到る叡智は実践すべきな
如来ら、阿羅漢らの心も喜びに満ちるであろう。
こう仏陀が言われたとき、祝福されるべきシャリプトラ、聖なる観音菩薩、
全世界の神々、人々、阿修羅ら、乾闥婆*らも大歓喜しました。

けんだつば 【乾闥婆】 〔仏〕〔梵 Gandharva「香神」「香音神」と訳す〕八部衆の一。
帝釈天(たいしやくてん)に侍し、香を食して音楽を奏する神。

Copyright (c)2005-2008, Takamidoh.com. All Rights Reserved.